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特集記事アーカイヴ Issue 2003.1-2

小さきものでありつづけること ―Dublin Writers' Workshop を訪ねて―

text: 山下聡子 Satoko Yamashita


ワークショップ参加者は、1階のバーでギネスやサイダーなど好みのドリンクを買い、2階のラウンジへ。


「英語で sandpit といったら子供が遊ぶ砂場のことよ。"砂に埋もれていく夢"っていう一行にはそぐわない単語じゃないかしら」
「私は、音読した時にどう聞こえるかを大事にしたいの。ただの sand じゃリズムが崩れるわ。 それに pit(採掘場)には"沈んでいく"というイメージがあるでしょう。だからこの言葉は残したい」

アイルランドの首都ダブリンの中心、トリニティ・カレッジにほど近い小さなパブ"Bowe's"。この2階で、毎週月曜の夜に Dublin Writers' Workshop (DWW)という詩や小説の創作ワークショップが開かれている。自作を持ち寄って朗読し、みんなで批評しあうという集まりだ。

この日の参加者は講師含め5人。まずは、アメリカ人の中年女性ブレンダが詩を発表し、イギリス出身のキャシーが短篇を朗読。ディスカッションに続いて、アルゼンチンから来た英文学専攻の留学生ベアトリーチェが自作のスペイン語詩の英訳を発表したところから、その夜の議論は徐々に熱を帯びていった。

作品は、友人のタンゴダンサーの死を悼む定型詩。最初に朗読したスペイン語版は、タンゴの悲劇の物語と、夢半ばにして逝ったダンサーへの呼びかけが抑制した語数で描かれ、その中で繰り返されるスペイン語独特の長い母音が、こらえてはこみあげる哀しみの感情を見事に表現していた。

次に朗読した彼女自身による英訳版にも、音による哀しみがあった。内容を異なる言語に置き換えるのみならず、母音の種類と配列、前後にくる子音の響きを緻密に考え抜いた、詩人としての言葉に対する高い意識が強烈に印象づけられる作品であった。

2篇の朗読でしんと張りつめた空気を破り、ブレンダが言った。
「でも、ここは the が入らないとおかしいわ」英語の文法が間違っているという指摘である。
「the が入ったらリズムが崩れる」 ベアトリーチェは指摘を拒んだ。

「それよりここ、カンマのあと名詞が続いているけど、that is がないと文法的に変よ」 その日作品を発表しなかったアイルランド人の女性の意見にも、ベアトリーチェは取り合わなかった。キャシーは、2つの言語で書かれた詩がほとんど同じ韻律を保っていたことに感嘆しつつも、sandpit は誤用だとする意見には固執した。

相当に堪能とはいえ、英語を第一言語としないベアトリーチェの詩が、その夜発表された作品の中では明らかに「格上」であったことをどう感じていたのか、ブレンダは肩をすくめ、両の手のひらを宙に向けて言った。
「でも、英語で詩を書くならやっぱり英語のネイティブ・スピーカーが自然だと思う英語であるべきよ。でないと意味がない」 それを聞いたベアトリーチェは身を乗り出して言った。
「違う、私の詩にとって大切なのは、「意味」じゃなくて「リズム」なのよ!」

言葉とは、意味なのか、音なのか。詩とは、そして翻訳/創作とは、いったい何なのか。
うす暗いラウンジの空気が、「言葉」をめぐる本質的な問いに触れた瞬間であった。

翌日、ワークショップの講師で詩人のノエル・コニーリー氏を改めて訪ねた。DWWの活動や、最近のアイルランドの詩の状況について話を伺うためである。
「昨日のワークショップはうまくいきました。ベアトリーチェの作品には驚きましたね。あのレベルに仕上げるには相当努力したんだと思います」

教職をリタイアし、いまは創作とDWWの活動が中心というコニーリー氏はもちろん英語を母語とするが、同時に氏は、いまでは西部地方のごく一部でのみ話されているアイルランド語(ゲール語)のネイティブ・スピーカーでもあるという。いまや世界語となりつつある英語の内側にいながら、その外側の文化にも拠って立つ詩人は、前夜の議論でも要所要所で非英語圏出身のベアトリーチェを援護していた。

「文化的帝国主義としての英語」は支持しないというのが持論だそうである。

「DWWは1982年から続く、ダブリンでも歴史の古いワークショップです。私が関わり始めて6年ほどですが、4、5年前まではベルファストやリバプールなど他の都市のグループとの交流も盛んでした。最近はちょっと停滞気味で、来る人も毎回5、6人ですね。でも質は高いと思いますよ。それに、私たちは外国からの学生をいつも歓迎しています。一番多いのはアメリカ人ですね」昨夜のワークショップは、たしかにがらんと広いパブのラウンジに対し、参加者の少なさが何ともわびしくはあった。

しかし、それでもアイルランドは、ジェームズ・ジョイス、W.B.イエーツ、サミュエル・ベケットといった名立たる文学者を輩出した土地である。留学生の参加が多いのも大いに納得できる。やはりダブリンには特別な魅力があるんですね、と返すと、コニーリー氏は、「私は、ある場所が他の場所より特別だという考えには賛成できません。どの場所も特別だと思いますから」と、訪問者の安易な発言を鋭く牽制した。そして、いまやこの国の一大観光資源と化した「文学」をナイーブに賞賛してもらっては困ると思ったのだろう、紅茶のカップを置き、コニーリー氏は続けた。

「確かにダブリンは魅力的な街ですが、ある意味、ダブリンの文化は過大評価されていると思います。ジョイスやイエーツは利用されすぎている。音楽やダンスも同じで、いまやアイルランドのアートはすっかり商品になってしまいました。観光客向けのジョイスツアーなどひどいものです。芸術が持つ「美」を他の人々と共有することと、それを単に商品化してしまうことのバランスを取るのは実際難しいことではありますが。詩について言えば、イエーツは確かに偉大な詩人だったのかもしれませんが、彼が注目されすぎることの弊害もまたあるんです。一人が露出しすぎると、他の弱い人たちが苦しむことになりますから」

アイルランドは詩が盛ん、という一般的なイメージも、コニーリー氏は留保した。そして、たしかに昔はそうであったが、いま、そしてこれからについては疑問だという理由をこう説明した。

「昔は、詩や音楽は普通の人々(people)の言葉でした。詩を書くのに高い教育など必要なかった。こんな伝統があります。有名な詩人がパブに集まり、その場で詩を作って朗詠する。アドリブですね。自分の出身地を自慢したり、地元のちょっとした出来事について語ったり。中でも特に優れていたのは、悲劇について語った詩です。人が死んだり、殺されたり、溺れた時に起こったことを詠った詩でした。時が過ぎて、詩や詩人はだんだんと学問の世界に取りこまれていきました。私が若かった30年ほど前は、有名な詩人はみんな若い人でした。いまは、有名な詩人といえば私と同世代、50〜60代です。若い詩人はほとんど出てきていない。ですから、その点ではアイルランドの詩は十分に発展しなかったんだと思います。「権威」になってしまったんですね」

95年にノーベル文学賞を受賞したシェイマス・ヒーニーやその門下生など、アイルランドの著名な詩人の多くは現在、大学教授や文化行政に携わる地位にある。

「私は、偉大な人よりも小さな人に共感を覚えます」

イエーツに興味を持ったことは一度もないというコニーリー氏は、尊敬する詩人として3年前に亡くなったマイケル・ハートネットの名前を挙げた。英語とアイルランド語両方で詩を書く、数少ない詩人の一人だったという。

DWWでは、毎週のワークショップの他に、Electric Acornというウェブの季刊誌を発行している。しかし、この発行には別のメンバーが携わっているそうで、「インターネットには手を染めない」というコニーリー氏は距離を置いているようであった。
「私は古いタイプの人間ですから、実際に人と会う方が好きなんです。寒い日でも暖炉の側から立ち上がって、雨の中外に出ていく……。そういう手間をかけた方が好きなんです」 コニーリー氏は笑いながら、一瞬視線を落とした。

「こういう集まりは魅力的だと思わなくなったんでしょう。ワークショップに参加する人は少なくなっていますが、私はそれでも、続けることが大事だと思っています。来る人たちのために、そこに居続けたいと思っています」

意味ではなくリズム。
あの夜、うす暗いパブの2階を閃光のように走った言葉、強いものの前で小さな詩人が自分を賭して叫んだその言葉はしかし、どれほど有名な詩人の作品よりも、どれほど大きな企業がスポンサーについたミュージカルやコンサートやダンスよりも、鮮やかな問いを投げかけていた。

Dublin Writers' Workshop: http://www.dublinwriters.org/


アイルランドでは、すべての道路標識と駅名、そして多くの店名が、英語とアイルランド語の併記。


山下聡子 Satoko Yamashita
1970年 東京生まれ。翻訳/校正。創刊より本紙編集スタッフ。2月28日 江古田フライング・ティーポットにて小説朗読「EPFN」に出演。(終了しました)
http://www.pp.iij4u.or.jp/‾satoko-y/


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